まず何某(甲)が登場し、友人の乙を野遊山(現在で言う“ピクニック”)に誘います。野に出た2人は、季節がめっきり春めいてきたことを喜びながら、つくしを見つけて摘み始めるのでした。そこで甲は「一首思い寄った」と言って歌を詠みます。
つくづくしの首しをれてぐんなり
しかし、乙はこの歌に対し「ぐんなり」という言葉がおかしいと言って笑います。それを聞いた甲は負けじと、
わが恋は松を時雨の染めかねて真葛が原に風さわぐんなり
という歌を引き合いに出し(=引き歌)、自分の歌は正しいと主張します。けれども乙は、「その引き歌の『ぐんなり』は誤りで、『さわぐなり』が正しい」と言ってまたもや笑います。
さて、甲はところを変えようと言って歩き出し、沢に出て芍薬を見つけます。乙が芍薬は詩歌に詠まれないものだと言うと、甲は待ってましたとばかり「こなたはご存じないのか、古歌にある」と言って、
難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと芍薬の花
の歌を引き合いに出します。すると乙はまたまた笑って、「その『芍薬の花』は『咲くやこの花』が正しい」と反論して取り合いません。
怒った甲は乙に相撲を挑みますが、これまた結局負けてしまいます。そこで乙が甲を打ち倒して「勝ったぞ勝ったぞ!」と帰るのを、甲が「相撲は3番勝負だ」と言って後を追う、というのがあらすじです。負けず嫌いもここまで徹底するとおかしみを誘いますね。
さて、これが和泉流ではどうなるのでしょうか。 |
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